4.戦前の首里と、首里人(スインチュ)
戦前の首里は、王朝残影。
詩人・佐藤惣之助はこう感嘆しました。
『しづかさよ、空しさよこの首里の都の宵のいろ…』
赤瓦屋根の連なる戦前の首里の町並み
まず、明治期から戦前の首里人についてふれておきましょう。
戦前の首里は、エリートの町でもありました。
明治12年の廃藩置県による王政の解体、士族階級の離散などの
社会制度の変遷を生き延びた首里人(スインチュ)は、
士族はもとより、泡盛産業の旧家、官公庁の役人だけでなく、
首里市民全体が「自分はスインチュ」という気概に満ちていました。
世替わりの不遇をかこちながらも
首里人は、社会的技量と非常に高い気位をもっていましたので、
その子弟の多くは、出世街道を邁進し、各界に傑出した人物を輩出しました。
また、一方でほかの地域に活路を見出し、
県内各地に転居した首里人は、行く先々の村に直接合流するのではなく、
既存の村落の近くにひとまず集落(ヤードイ)を構えて、
徐々に地歩を固めていきました。
県内各地には、いまでも、それぞれに高い気位を保ちながら
そうした「スイナガリ(首里流れ)」としてのルーツを誇る
家系も少なくありません。
また土地の佇まいに目を移せば、戦前の首里は森の町でした。
石垣に囲まれた民家は例外なく赤い瓦屋根で、
雨端(あまはじ)と呼ばれる軒の張り出しが長い上に、
亜熱帯照葉樹の屋敷林に深々と覆われて、
中からしわぶき一つ聞こえない静まり様でした。
目抜き通りだけは商店が並び、
下駄の音や話し声がまばらに聞こえる程度です。
一歩屋敷町に入ると、耳が痛くなるほど、静穏そのもの。
物音は、まず枝葉の絶妙な消音効果で分散され、
石垣に吸収されて、外界には届きません。
メジロの囀り(さえずり)やけたたましいヒヨドリの声が
梢から風に乗って伝わるだけです。
首里のこの異様なほどの静けさに感じ入って、詩に表した人がいます。
佐藤惣之助です。
戦前、『人生劇場』『赤城の子守唄』『人生の並木道』などの
ヒット曲で知られるモダニズム詩人ですが、
旅行で訪れた琉球首里の印象をこう書いています。

陶芸家浜田庄司の手になる陶板が用いられた惣之助の「宵夏」の詩碑
『しづかさよ、空しさよ
この首里の都の 宵のいろ
誰に見せやう 眺めさせよう』 (佐藤惣之助)
現在、首里赤平町・虎頭山(とらずやま)の
城下町を見おろす山頂にこの詩碑が残されています。
首里城復元前は、城跡入口にあったのですが。

消失する前の首里城正殿

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