2.首里城と城下町について
城を中心に、町が生まれ、王国が整った。
琉球王朝の華―スイグスク。

日本の城と趣きを異にする首里城では、折にふれて、異国情緒漂う様々な儀式が
挙行されている。これは琉球王朝お抱えの宮廷楽士による鼓吹楽。
たとえば江戸幕府の城が江戸城であり、
その城下に江戸の町が栄えたように
尚巴志王が王都を首里に定めてから明治時代の廃藩置県までの450年余、
琉球国王の居城は首里城であり、
そのまわりに首里、那覇の町が栄えました。

那覇や離島を一望できる西のアザナ
しかしその城と城下の眺めは、江戸とは趣きを大分異にしていました。
延長1kmに及ぶ石積みの壮大な外壁、
周辺―帯の亜熱帯植物の森、
中国の建築様式を随所に採り人れた建造物や楼門が立ち並んでいました。
そして標高158米の小高い丘の上からは、
広く諸外国と貿易を営む那覇の海と町並みが眺められました。
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首里城の正確な創建年についてはまだ明らかでないものの、
創建以来、城内の建造物は様々な時代背景と深く関わり、
また、王府の中枢施設として、幾たびかの改築・再建の整備・拡充がなされました。
終戦前のものは1712年の建設とされます。
さらに城外においても
王都にふさわしい尊厳と風格を備えるため、
街路整備や社寺の建立、築庭、植林等の町づくりがなされ、
かつて日本で最も美しい城下町のひとつといわれました。

城壁の稜線まで美しい城
琉球王朝の進貢貿易の拡大とともに、
明国の進んだ文物(磁器、絹織物、鉄製品等)が大量に輸入され、
この時期に独自の琉球文化を創造する基盤が形成されました。
しかし琉球王府に関しては、
貿易で富の蓄積は大いになされましたが、
薩摩侵入(1609年)により一変し、
自国で価値あるものを生産し、対外輸出によって財政を支えなければならなくなりました。

首里城正月恒例下の御庭での寿ぎの琉舞
中国や日本、朝鮮等の諸国の技法を採り入れ、
応用して品物の価値を高め、極めて洗練度の高い工芸品を創出しました。
また、琉球古来の思想、文化の基盤の上に外来文化をアレンジし、
琉球の風土に即した独自の技術を発展させてきました。
紅型や首里織、琉球漆器、壷屋焼などの伝統工芸や
琉舞、三線に代表される伝統芸能や固有の空手、古武道はそのほんの一例です。
これは首里城を拠点に華ひらいた、
日本のまぎれもないもう一つの文化でした。
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